自分

自分が住んでいる山口県下関市伊倉町。
今日は、いい日よりで、
空気は、冷たいが、
空は青空が多く、風はあり、
海の白波はたっていて、時化のようである。
今日、父が、
大丸の地下街にある、肉店に、
電話を自宅からして、店長に、
黒豚の国産肉のいい部分の豚バラ肉の塊を聞いて
いたようで、あるとの事で、
さっそく、自分の運転で、
父を乗せて、綾羅木から、
買いに行った。
自分は、外の大丸の付近の
路肩に止まり、父だけが、
いつもの肉店に行って購入した。
それを、後は、
自宅に持って帰り、
母が、いつも美味しい手作りの
焼き豚を作ってくれる。
それで、
うどんの具にしたり、
そのままで食べたり、
キムチ漬けと食べたり、
魚介と食べたり、色々だ。
既製品は、特にまずく美味しくないから、
手作りを食べる。
白菜漬けの漬け物もそう。
既製品の売っているものは、
塩辛いばかりで、昆布のうま味、塩加減、
浸かり加減、鷹の爪加減も
手作りが一番おいしい。
それに、口が慣れているからだ。
それは、家で、
親等が、手作りを、
小さい子供等から、
食べさせているかである。
既製品・冷凍品等ばかり食べさせている家庭や、
常に外食しか食べさせてない家庭では、
それは、無理で、天然魚と同じく、
養殖の魚を食べているのと同じで、
それは、無理な事で、わからないのが普通であると思う。
とても悲しい事である。
自分達の世代からか、
自由といって、姑・舅等とまったく住まず、干渉が嫌いで、
自由はいいが、
昔の年寄りの知恵・手助け等の事を、
大事な事をわすれ、忍耐や人との生活の輪とつながりが、
なくなり、なぜか冷めた殺風景な家庭の雰囲気等が多く
隣はだれだったかと言う世界が多く、
なぜか、悲しい。
天災等の災害で、始めて、人とのつながりを知り、
痛み暖かみを知り、手助けを知り、
命の重さを知り、自分の責任感と正義を知り、
心と言う禅を知る事になるようだ。
だから、自分の住む、ど田舎の下関の町並みを見て、
思う。
新しい鉄筋やなうい建物ばかりが多くなり、
なぜか冷めた町並で、自分の世代から見て、
冷たくなぜか面白みも楽しさも感じられず、
ただ、小綺麗に揃っただけの町並で、
何もこれと言ってただそれだけだ。
だから、会話・色々な普段話もなく、
交流という物と言うより事務的な人間が
増えていつか未来は、機械人間の
面白みのない官僚型人間になるような傾向だ。
とてもさびしい。